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2011年5月 6日 (金)

ゴール

さよならゴールデンウィーク。

稽古したり稽古したり、稽古したり、あとはみんなの芝居観に行ったり、提出せなあかんものを提出したり、提出したり、提出したり。

白亜ちゃんの芝居が観れなかった。とても残念。ごめんよ白亜ちゃん。

色々みて思うことがあって。観た作品はどれもほんとに役者さんも素敵やったし作品としてもよかったと思いました。

で、私自身が思ったこと。

たとえば本田信男さんの「つむじ風とマグカップ」と浮遊許可証さんの「虚空通信」は作・演出が同じで、つまり、その作演出家さんの世界観が満開。その世界に浸る為のような作品だったと思う。これはこれで私は大好きです。

真紅組「えなげな街」とZsystem「新世界BALLAD]は作家と演出家が違う方がやっている作品でした。これは、当然ですが、まず作・演出が同じ人でないというハードルを越える作業が必要ですな。でもこの作業は実はとてつもなく大変な作業やと思うのです。

作家の伝えたい物語を、演出がどう見せるのか、もう永遠の葛藤だろうなと。

真紅組さんは、ホンを書いている阿倍さんと演出諏訪さんが、ずっとこの作・演出コンビで作品をつくってこられているようなので、その経験と信頼から、つくるべき作品の方向は見えているのかなと思います。時代背景も人物たちの心情もよく伝わってきます。

本当に大変だろうなと思ったのは、Zsystemさんの作品の方で、まだ若い作家の方が、超ベテランの俳優さんばっかりが演じること大前提で書いてて、そしてそれを岩崎さんが演出するっていう・・・もう書く方としては、何書いたらええねんっ!って叫びたくなるようなプレッシャーの中で書きはったんやないやろかと思う。

近未来という設定と弾圧された(ここでは大阪弁という)言語を守るために戦う地域住民と団体。このなんとも難しい設定にまず、何をリアルにするのかを演出なら迷うだろうなと思った。最後はそれぞれの人物の抱える葛藤を乗り越え、ハッピーエンドになるけれど、この物語の本筋をぶらさず、作家のゴールに演出もそこを強く目指しているのを感じた。

人の作品を演出するのは難しい。でも自分以外の誰かの考えや想いを理解し、尊重し具現するというのは、そのゴールが見えた時、本当に達成感があるだろうなと思う。

そうなのだよ。ゴール。ゴールだよ。ゴールの絵が見えなきゃならんのだよ。

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